日本に足りないものは何か、そして北欧はなぜ順位を下げたのか
これまで2回にわたり、PISA2025の順位の見方(第1回)と、今回の結果が日本の教育政策に与える影響(第2回)を見てきた。最終回となる今回は、視点を少し広げて2つの問いを考えたい。一つは「点数では世界トップレベルなのに、日本にはまだ何が足りないのか」。もう一つは「かつて教育の理想として注目された北欧諸国は、なぜ順位を下げ続けているのか」。この2つを並べて見ることで、日本が学ぶべき教訓も見えてくる。
日本の「隠れた弱点」――学びへの興味・関心
日本の15歳は、読解力・数学・科学のいずれも世界トップレベルの点数を取っている。しかしPISAには、点数だけでなく「学ぶことをどう感じているか」を尋ねるアンケート調査も含まれている。この部分に目を向けると、日本には長年変わらない弱点があることがわかる。
2003年のPISAでは、「科学について知識を得ることは楽しい」と答えた日本の生徒は58%で、OECD平均の67%を下回った。「科学についての問題を解いている時は楽しい」と答えた割合は日本29%に対し、OECD平均は43%。同様の傾向は2006年、2015年の調査でも繰り返し確認されており、点数は高くても、学ぶこと自体を楽しいと感じる生徒の割合は国際的に見て低い、という状態が20年以上続いている。
今回のPISA2025でも、この傾向は形を変えて表れている。中心分野だった科学において、日本の女子生徒は「科学の楽しさ」や「興味・関心」を尋ねる指標で、いずれもOECD平均を下回る結果となった。また、数学的リテラシーの上位10%の成績優秀層に着目すると、男女の得点差が全体の男女差よりもさらに大きくなっているという分析もある。つまり、成績の高い層の中でも、女子が上位に食い込みにくい構造が続いているということだ。
「テストで高得点を取れる力」と「学ぶことを楽しいと感じる力、自分から進んで学ぼうとする力」は、必ずしも同じ方向には伸びない。日本に足りないのは知識や技能そのものではなく、それを支える動機づけや、性別によらず学びに向き合える環境だと言える。
「興味がない」ことは、本当に問題なのか
ここで一度立ち止まって考えたいのは、「学ぶことを楽しいと感じない」こと自体を、無条件に「弱点」や「課題」と決めつけてよいのか、という点だ。
日本の生徒たちは、「科学が楽しい」と答える割合が低いにもかかわらず、点数では20年以上にわたって世界トップレベルを維持し続けている。これは裏を返せば、「心から楽しんでいなくても、高い学力は達成できる」ことの一つの証拠でもある。楽しさや興味という内発的な動機づけがなくても、義務感や向上心、あるいは「良い成績を取りたい」という道具的な動機づけだけで、十分に高いパフォーマンスを出せる生徒集団が日本には存在する、という見方もできる。
また、PISAのアンケートが前提としている「楽しい」「興味がある」という感覚の表現の仕方自体、文化によって差が出やすいという指摘もある。感情表現を控えめにする、謙遜して答える、といった文化的な傾向がある国では、実際の関心の程度以上に数値が低く出ている可能性は否定できない。国際比較の数字をそのまま「日本の生徒は学ぶ意欲がない」と読み替えてしまうのは、いささか単純化しすぎだろう。
さらに、「楽しいから学ぶ」という動機づけを過度に重視することにも、別の危うさがある。次に見る北欧諸国の経験がまさにそれを示しているように、生徒の興味・関心を起点にした教育を徹底した結果、体系的な積み上げが必要な分野で基礎力が弱まった、という例も存在する。「点数は高いが楽しんでいない日本」と「楽しんでいるが点数が落ちている北欧」を並べてみると、どちらが望ましいかは、実はそれほど自明ではない。
とはいえ、これは「日本は今のままでよい」という結論には直結しない。学ぶことへの興味の低さは、成績優秀層の中での男女差の拡大や、進路選択における理系離れなど、テストの点数には表れにくい形で長期的な影響を及ぼしている可能性がある。重要なのは、「興味がないこと=即座に悪」と単純化するのではなく、それが具体的にどんな場面で、どんな形の不利益につながっているのかを見極めたうえで、対応を考えることだろう。
もう一つの弱点――下支えする仕組み
第2回で触れたように、今回の調査では3分野すべてで基礎的な習熟度に届いていない低得点層の割合が有意に増加した一方、上位層には目立った変化がなかった。日本はこれまで、家庭の社会経済的背景による学力差が国際的に見て小さいことを強みとしてきたが、その強みの土台が緩み始めている可能性がある。
高い平均点を維持する力と、学力面で苦戦している生徒を下支えする力は、別の課題として考える必要がある。この点は、次に見る北欧諸国の失速とも、実は無関係ではない。
北欧はなぜ順位を下げ続けているのか
2000年代前半、PISAが始まったばかりの頃、世界の教育関係者を驚かせたのがフィンランドだった。競争や試験を重視せず、学校現場や教員に大きな裁量を与え、生徒の主体性を尊重する教育で、読解力・数学・科学のすべてで世界トップクラスの成績を収めていた。日本からも多くの教育関係者がフィンランドを訪れ、その教育のあり方を研究した時期がある。
しかしその後、フィンランドの順位は調査のたびに下がり続けている。今回のPISA2025でも、フィンランドは3分野すべてでさらに順位を下げた。何が起きているのだろうか。
理由1:自主性を重んじる教育の「揺り戻し」
フィンランド教育に詳しい研究者の分析によれば、2000年代前半はちょうど1990年代の教育改革(学校現場への裁量拡大、教員や生徒の主体性重視)の成果が花開いた時期であり、いわば「ピーク」だったと見られている。テストでの競争をあまり重視しない文化は、当時は生徒の学ぶ意欲を支える強みだったが、長期的には基礎的な反復練習や体系的な習得が必要な数学・理科の分野で、じっくり取り組む生徒が減り、理数系の勉強そのものを避ける傾向が広がったという指摘もある。
理由2:移民背景を持つ生徒の増加
フィンランドやスウェーデンでは、移民の背景を持つ生徒の割合が増えており、ネイティブの生徒との間に学力差が見られる。ただし研究では、この要因だけでは順位低下の一部しか説明できないとされており、移民の増加が主因だと単純に結論づけることには慎重な見方が多い。
理由3:デジタル機器の使い方をめぐる混乱
スウェーデンは1990年代からICT教育を積極的に推進してきた国だが、2022年の政権交代を機に、方針を大きく「アナログ回帰」に転換した。教科書のデジタル化を進める新戦略を差し止め、紙の教材への投資を増やす方向に舵を切っている。
ただし、これを単純に「デジタル化が学力を下げた」と結論づけるのは早計だという指摘もある。OECDの分析では、授業に関係のないSNS閲覧や動画視聴といった「学習に関係のないICT利用」が得点と負の関連を示す一方、学習目的での適切なICT活用そのものが問題視されているわけではない。つまり問題は「デジタル機器を使うかどうか」ではなく、「何のためにどう使うか」という利用の質にある可能性が高い。
理由4:教育改革そのものの機能不全
スウェーデンについては、OECDが2015年の報告書で「一連の教育改革に取り組みながら、学校教育の改善に失敗した」と厳しく指摘している。学校選択制(フリースクール制度)による学校間格差の拡大や、教員の社会的地位・待遇の低下が、教育の質を支える基盤を弱めてきたことも要因として挙げられている。
興味深いのは、同じ北欧・バルト地域でも明暗が分かれている点だ。今回のPISA2025では、フィンランドが3分野すべてで順位を下げた一方、エストニアは科学6位、読解力・数学ともに8位と上位グループに食い込んでいる。「北欧型の教育」がまとめて失速しているわけではなく、それぞれの国が抱える固有の事情――改革の設計や、教員の待遇、移民政策、デジタル機器の使い方の指導など――が、結果の明暗を分けていると考えられる。
日本が北欧の経験から学べること
北欧諸国の経験は、日本にとって二重の教訓を含んでいる。
一つは、「自主性を重んじる教育」や「生徒の興味・関心を大切にする教育」そのものが悪いわけではない、ということだ。むしろ前述の通り、日本にはまさにこの部分――学ぶことを楽しいと感じる力、自分から学ぼうとする意欲――が足りていない。フィンランドの初期の成功は、まさにこの部分を伸ばした結果だった。
もう一つは、その自主性重視の教育を「野放し」にしてしまうと、特に体系的な積み上げが必要な分野で基礎力が弱まりかねない、という点だ。日本が次期学習指導要領で目指している「主体的・対話的で深い学び」も、単に生徒の自由に任せるのではなく、基礎的な知識や技能の習得と、思考力・表現力の育成を両立させる設計が求められている。北欧の失速は、このバランスをどちらかに極端に振ってしまうことの危うさを示す実例だと言える。
デジタル機器についても同様だ。日本はPISA2025の新分野「デジタル世界での学習」でOECD加盟国中1位となり、GIGAスクール構想の成果として評価されつつある。しかし北欧の経験が示すのは、端末を配ること自体がゴールではなく、学習に集中して使えるような指導や環境づくりこそが問われる、ということだ。
まとめ
3回にわたって見てきたように、PISA2025は「日本、OECD加盟国中で3分野すべて初の1位」という華やかな見出しの裏に、①読解力の質的な低下、②低得点層の広がり、③学びへの興味・関心をめぐる長年の(しかし単純に善悪を決めつけられない)論点、という3つの地に足の着いた論点を含んでいた。
そして北欧諸国の失速は、日本が目指す教育の方向性――知識・技能の確実な習得と、主体的に学ぶ力の育成を両立させること――が、決して簡単な綱渡りではないことを教えてくれる。順位や点数はあくまで結果の一つの側面にすぎない。その内訳と、他国の経験から見えてくる教訓を丁寧に読み解くことが、これからの教育を考えるうえで欠かせない作業になりそうだ。
*出典:文部科学省・国立教育政策研究所「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」各年度公表資料、厚生労働省公表資料、信州大学・伏木久始教授インタビュー(教育新聞)、AFP「スウェーデン教育の凋落、緊急な改革が必要 OECDが警鐘」、ITmedia「『デジタル化で学力低下』は本当か?」、OECD「PISA 2025 Results」